一見するとただのガラスで出来たコップ。
しかし、それの底から鏡を見ると鏡がきらめき、鏡の中へ入ることが出来た。
そして、「時」を行き来することが出来た。
未来、過去・・・「時」を。
どのようにしてそれを手に入れたか。
どうして使いこなせていたのか。
それは分からなかった。
そして、僕が「時」を操ってどのようなことをしていたかも。
僕には恋人がいた。
名前は分からない。
ただ、大事な人だった。
僕と彼女は一緒に「時」を行き来していた。
いつも一緒に・・・・。
自分の生きていた時代に戻ると必ず老婆と会った。
どこから帰ろうと、いつ帰ろうと、必ず現れたすぐ横に椅子に座っていた。
ただ、話しかけられも話しかけもしなかった。
一度も。
僕の中で気になってはいたが、どうしても僕からは話しかけられなかった。
ある日、僕らが住んでいた「本当の世界」に戻ってくると、やはり老婆がすぐ横に椅子に座っていた。
先に僕の恋人が部屋から出て行った。
僕も出ようと思っていたとき、不意に老婆が、
「失う」
そう、確かに言った。
驚いて老婆のほうを振り向くと、既に僕への話は終わったのか、虚空を見ていた。
どういうことなんだ?
失う?
何を?
何故?
尋ねたかった。
しかし、不思議にも僕は何も言えぬまま部屋を立ち去った。
数日後、僕と僕の恋人はやはり「時」を行き来していた。
「あ、ちょっと私行きたい時代があるんだけど」
こういうことは別段変わったことでもなかった。
今までに何度もそう言っては彼女の行きたい時代に行っていた事があったからだ。
「分かった、じゃあ行くか」
そしていつものように二人でその時代に行こうとした。
「ううん、今度は一人で行きたいの」
「え?」
その瞬間、僕は間抜けな声を上げてしまった。
「どうして?」
「うん・・・なんでか分からないけど、一人で行きたくて」
危険じゃないのか?
一人で行かせて大丈夫なのか?
不安顔でネガティブな考えをしていると、
「大丈夫、私は大丈夫だよ」
そう言って彼女は僕に笑いかけた。
一抹の不安を抱えながらも僕は彼女の申し出を承諾した。
「じゃあ、行ってきます」
そう言って鏡の中に入ろうとする。
「気を付けて」
そう言う僕に彼女は笑いかけながら鏡に入っていった。
しばらく経つと、僕の不安は急にでかくなって来た。
何故だか分からないが、怖くなってきた。
そして、不意に老婆のあの言葉を思い出す。
(失う・・・)
まさか・・・!
いても立ってもいられなくなり、僕は彼女の行った時代へ行った。
そしてその時代に着いた瞬間、僕は愕然とした。
そこには血を流し、息絶えている女性がいた。
その女性に近づき、ゆっくりと顔を僕の正面へ向かせた。
その女性の顔を見た瞬間、僕は悲鳴とも奇声ともいえない声を上げた。
彼女だった。
僕の生涯にして最愛の、恋人だった。
いつぐらい彼女を抱いていただろう。
時間はかかったが、冷静になり、現実と向かい合った。
そうだ・・・。
こんなときにあの道具があるんじゃないか・・・!
僕は急いで彼女を背に乗せ、僕が住む「本当の世界」へ戻ろうとした。
戻ってきた・・・。
さあ、早くあの道具で彼女を助けよう・・・!
待っていろよ、すぐに助けるから・・・!
そう思いながら道具を手に取る。
そしていつもの通り「時」を越えようとした。
しかし、何度やっても「時」を越えることは出来なかった。
「不可能だよ・・・」
不意に横の椅子に座っていた老婆が言った。
「不可能じゃない!」
しかし何度やっても無駄であった。
「どうして出来ない! 何で出来ないんだ!」
僕は力の限りそのコップを握り締め、壁に投げつけた。
コップが割れ、床に落ちる。
荒い息を吐きながら、粉々割れたコップを見続ける。
時間が経ち、息も整ってきた僕に、絶望的な答えが頭に浮かんだ。
あの道具は僕が作ったんだ。
彼女を助けるために。
未来の僕が・・・。
結局は助けられないのか・・・?
彼女を・・・僕は・・・。
これが・・・運命・・・?
けれど・・・
たとえそれが運命とわかっても・・・
僕は作る。
いつか運命を変えることが出来る「僕」が現れることを信じて。